「サボり」という言葉に過剰反応していた少年期
今週のお題「サボりたいこと」にあやかりまして
逆に、サボりまくっていたブログを再開する天邪鬼こと私です。
連休明け、会社に行きたくなくてたまらないですねえ。
現実逃避したいというか、現実って何だっけというか。
「サボり」と聞くと他人事には思えない過去がありまして
私、ADHD,ASD診断持ちなのですが、少年期から逃避癖がありまして。やりたくもない習い事や宿題はそれはもうサボりまくっていました。やっかいなのは、ちゃんと罪悪感があること。
課題、壁に向き合えない自分が嫌で嫌で。でも変わることもできなくて。子どもながらに葛藤のなかにおりました。
そんなある日、なにかのきっかけで習い事をサボっていたことを祖母に茶化されたことがありました。サボることがよくないことなのは明らかでしたが、「自分だって苦しいんだ」という思いが急激に沸騰して、コタツを祖母がいる方向へ思い切り蹴ってしまいました。
コタツの天板は祖母の溝落ちのあたりにあたり、とても痛がっていたのを覚えています。そばにいた兄からは当然ゲンコツを食らいました。祖母に謝るように言われましたが、頭に血が上った私は何も発することなく、ただ荒い鼻息を抑えることだけに集中しました。
後にADHD、ASDの診断を受ける事になるのですが、当時はそんな特性なんて知る由もなく。祖母は既に亡くなってますから、当時のことを謝ることもできません。
いまになってたまに思い出す、「サボり」に関する思い出のお話でした。